哲学って言ってもそんな高尚な話ではなくて、「答えがない話」っていうくくりで。
子供の頃の話
私、今思うと幼少期ちょっと変わってたところがあったのかなと思うんです。
普通に小学校高学年くらいで、人間の死について明確に理解して怖くなる
これは当たり前だと思うんです。
自分もその頃、自分や親がいつかは死ぬんだ、と想像したら寝れなくなって、父親に話しました。
父親からは「いつか死んでしまうから今を一生懸命楽しんで生きよう」
という言葉をかけられたことを思い出します。
その時「そんな結論しかないの?」と思っちゃったんです…
実際それ以上でもそれ以下でもない、良い言葉だと今は思います。
人間ってなんだろう
そこから、そもそも人間てなんだろう、って思いはじめて
なぜここに意識があって存在しているのか
この世界の誰もそれをわからないまま生きていることに対して
非常に心細くなって、ずっとそればっかりある程度大人になるまで考えていました。
これってけっこうみんなそうなんでしょうか。自分だけなんでしょうか。
いや、むしろヨッチはぜんぜん考えられてないよ、という感じでしょうか。
人によってきっと考える時期もバラバラなんだと思います。
恥ずかしくてこういうことってあまり話さないじゃないですか。
だからわからないですよね。
ただ、周りの中学校の友達たちは、悩みもありながらもわりと明るく生活しているように見えたので
自分は中学の間は、ずっとこの寂しさみたいなものに苛まれて、暗い記憶しか無いんです。
今考えるとちょっとやばい奴だったのかなと。
悩みがあって暗いのはまだしも、「人間てなにか」ばっかり考えてクヨクヨしている子供って…
まあ「哲学的に考えること」と「暗い気分になること」が混同しちゃってるんですけどね。
少なくとも自分の子供には、そんなこと考えずにもっと中学時代を明るく楽しく生きてほしい^^
本やアニメを漁り続ける
自分とはなにか、世界とは、宇宙とは。
理解したくて文献を漁りまくっていました。
いろんな国の神話とか、有名な本だとソフィの世界とか、かなり分厚かった記憶がありますが読んでました。
アニメですがエヴァンゲリオンもハマりました。
他人との境界線を無くして、一体になることで傷つくことのない世界になるような描写とか、まさに「人間てなんだろう」っていう興味に、ピッタリはまりましたよね。
でも暗い人間と思われたら恥ずかしいので、そんなことだれにも言わず、バスケとバンドをがんばる少年でした。
社会人になると考えなくなった
さて、こんな僕も高校からは彼女や友達と遊ぶのが楽しくて、だんだんと陰鬱な気分は忘れていきました。
20歳からイタリアに留学して、また精神的にやられた時期もありましたが、その話はまた今度。
社会人として仕事に追われると、「人間とはなにか」とか考えなくなりました。
考えても答えが出ないからです。
それよりも、ここまで生きてきてやっぱり自分は自分のままだし
生きてると人間関係の摩擦で疲弊したり、目の前の大事なものをしっかりと守って、自分の人生を十分に楽しんでからあの世に逝く、という目標を叶えるだけでも、けっこう大変だし、日常が幸せだからかなーと。
哲学的なことは考える意味はある
でもこの「人間てなにか」は「考える意味があること」だと思います。
日々、自身の存在について考えて生きていると、人生の輪郭が把握しやすいと思うんです。
人生の輪郭が把握できれば、より広い視点で、どう生きていくか考えられる。
お金だけじゃない幸せについてとか。
自分が死んだ後の世界について考えるとか。
例えば人類の年長者の方々に、「あなたの人生で楽しかったことは?後悔したことは?今からの時代を生きる人達にアドバイスは?」と聞ければ、相当な金言が集まると思うんです。
でもこれは失礼すぎるので聞けないですよね。
えー全然普通に話せるよ、と言う方もいると思うんですが
結局、僕も含め人間は多かれ少なかれ、死んでいく寂しさは背負って生きています。
ということで
なので、自分が生きていて、良くも悪くも今何を感じて、考えているかを
このブログに書いておくことで、見た人たちになにか足しになるかもしれない。
こんな大人でも悩んで落ち込んで、また立ち直ってを繰り返して生きていることがわかれば、安心する人もいるかもしれない。
と思ったんですが、ここに独り言を書いて発散したいだけでもあります。
じゃあ、何回続くかわかりませんが
ヨッチの哲学的な話を書いていきます。
次の哲学的な話↓
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